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福島県 小泉さんの声 第1回

更新日:8月31日




「困ったら、このおかんのところに逃げておいで」



福島県 相馬市 小泉ひとみ さん



相馬出身のボランティアとして、ずっと地元と関わり続けてきた「偲いを紡ぐプロジェクト・∞」の小泉ひとみさんに伺いました。3回シリーズとなる第1回は、地域の母としてのお話。



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10年前は正直、無我夢中でした。私自信がボランティアとして地元相馬市に入るなかで、ひとを見る目が培われていったと思います。カーネーションズの3人は、ほんとうの心で福島に寄りそい続けてくれていると感じるんです。


2017年、玉野という相馬市でも山岳地域の小中学校と幼稚園の閉校が決まりました。3人はそれまでも、何度もその地域に足を運んで、子どもたちや地元の人たちと交流をもってくれていました。過疎化が進み、震災後の放射線量の高さも懸念される地域だった事からやむなく閉校が決まってしまいましたが、その閉校式にも、出席してくださいましたよね。そのときの青木チエさんの挨拶、忘れることができません。


「みなさん生きてください。わたしはいつまでもそばに居て、玉野の応援者になります」


この言葉を、おそらく人一倍強く受けとめた男の子がいるんです。Kくん(仮名)は当時中学生でした。Kくんは、複雑な家庭環境にありました。震災の影響を受けたため、と言ってもいいでしょう。

大人を信じられない時期があったんだと思います。「この子はわたしの何を信じてくれるだろう?」と思い、ぎゅっと抱きしめたことがありました。それもいまとなっては懐かしい思い出話です。まわりには寄りそってくれる大人がいるよと、Kくんに青木さんが身をもって伝えてくれたんじゃないかな。それがKくんに届いたから、彼はまっすぐな道を歩めたんだと、わたしは思っているんです。おせっかいな相馬のおかんのひとりごとですけどね。


そんなKくんも、いまではパパになりました。生まれたばかりの男の子を見せに来てくれました。2019年の相馬市の洪水で私の自宅が浸水したときも、長靴を履いてスコップを持って泥かきにかけつけてくれて。今はペンキ屋で働いているって言ってましたが、たまに差し入れにジュースを持ってきてくれたり。子育てで大変なんだから、差し入れはいいっていつも言ってるのに。


子どもたちにはおせっかいをやき続けたいと思っています。なんででしょうか? 

……相馬の街中で育ったんですよね。長屋に住んでいて、まわりには色んな家庭環境のお友達がいました。親御さんの仕事がうまくいかないとか、お友だちが急に転勤になるっていうことを経験してきて、子どもながらになんでだろう?って思っていたんです。経済的な理由があることは、今は理解出来るんですが、あのころは何がなんだかわからなかった。うちの父は、そんなご近所さんたちに差し入れを持っていったり、いつも何か勝手にお世話を焼いていました。

そんな姿を見ていたから、かもしれません。わたしには助けているなんていう感覚はなくて、助けてもらっているって思っています。それはきっと父も一緒だったと思います。


子どもは自分で環境を選べないうえ、自分の言葉でつらさを表現できない子もいます。

ボランティアで学校に入り、先生方とコンタクトをとって定期的にヒアリングをするようにしています。いじめやDV、非行に走る子どもはいないか?その場合は、どのように対応するか?児童相談所では動けないけれど、ボランティアだったら、ということもあるので、これまでの経験を活かして、できることをやっています。


今後は子どもたちに「逃げる」を教えたいです。我慢するんじゃなくて、逃げる。命がなくなったら元も子もない。これは震災から得た学びでもあります。

「いい? 困ったら、このおかんのところに逃げておいで」

わたしはいつでも子どもたちの逃げ場になれるような存在でいたいです。

これからも、おせっかいやきの相馬のおかんは続きそうです。



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第2回につづく