「医療は、科学そのものではない」
小児科医・水谷修紀先生
小児科医として、難病の子どもたちと向き合い続けている水谷修紀先生。医師を志すきっかけや、病院の中の「小児科」の問題点について伺いました。3回シリーズの第1回です。
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実は、中学生くらいまでは作家を志していたこともあるんですよ。親父に説得されて、断念しましたがね。私は1948年に京都の福知山市に生まれました。
小学6年の頃、祖父を家で看取るという経験をしました。当時は医療が進んでいませんでしたから、病院に入院する、なんてことができなかったんですね。それまで人が死ぬなんて考えたことがなかった。ショックでしたね。祖父を看取ったことで人の死を実感したことと、人の役に立ちたいという思いで、医療の道に進みました。
小児科への道はそうですね、子どもたちと冗談を言い合ったりして過ごす時間は楽しいものなんですよね。医学部を卒業してすぐは精神科に行こうかと考えたこともありました。ただ、身体のことを理解しないまま精神科へ進んでもいいものか?ということで、1年だけのつもりで小児科へ研修に行ったんです。
研修医として最初に受け持ったのは、骨髄性白血病の女の子でした。4歳の幼稚園の年中さんで、なんにでも応えられる賢い子でした。その才能を輝かせながら、数か月で亡くなりました。そのことを大きなきっかけとして、小児科から離れてはいけないと、以来この道を歩みつづけています。
小児科の抱える問題はさまざまにあります。大きな病院での収益を見てみると、外科や内科に比べ小児科はたかが知れている。そのため、小児科の医師の数は最小限まで減らされ、小児科医は過酷な労働を強いられる。残念ながら、この国の子どもたちに対する健康や病気への社会的関心は貧弱であると言わざるを得ないと思います。
たとえば、子ども向けの薬の開発を一つとっても、大きな問題があります。新しい抗がん剤は、大人には使えても、身体の中が未成熟な子どもにそのまま投薬することはできません。新薬の開発には「治験」と言って、ある一定数の患者さんでの効き目や安全性をためす試験が行われます。それを確認したあと、市販されることになります。ただ、これはとても費用のかかる試験です。製薬会社としては、成人の場合は情報を集めやすいし、薬ができあがれば大きな収入につながります。が、患者の数が限られている子どもでの売り上げは少なく、治験もなされないのが実情です。子どもでの治験で安全が充分確認されていない薬には、説明書に「慎重に投与せよ」と書かれています。医師の自己責任で薬を使えと。小児科の医者に勇気がない、責任感が乏しいと言われてしまうとそれまでですが、病院側も損害賠償のことを考え、使用を禁止します。そうなるとこの薬は効きそうだと思っても使えなくなるんです。
最近、海外では国が製薬会社に子どもの薬の研究開発を奨励する制度が動きはじめていますが、日本でも国の制度として、しっかりサポートをしてもらう必要があると感じています。
小児科医になって数年して、病気の子どもたちが苦しみながら亡くなることへの責任感、救えなかったという罪悪感を感じるようになりました。苦しみを誰からも理解されない孤独感も。医師の中でも一番困難な道を選んでしまったと後悔に似た気持ちを抱くようになったんです。
医者としての生き方に大いに悩んでいたときに、ロンドンの留学の話が出ました。天の助けとわたしはそれにしがみついて、ロンドンで白血病の研究にあけくれます。この詳しい話はまた追ってするとして。
科学への興味をもって進路が変わった私ですが、科学「的」思考は医者には必要な部分だと思っています。ただ「医療は科学である」と言い切ってしまうと、それは語弊がある。また、「医療は科学でない」とするのも大きな間違いのもとであると思います。後輩の医師たちによく言うのは、「医療とは科学そのものではない」。人に対して行うわけですから、倫理や権利、つまり、相手の立場を考えなくてはいけないよと。これを科学「的」と呼んでいます。
病気の子どもを持つ親御さんに、どんな言葉をかけるべきか、言葉に窮してしまうこともあります。医師や看護師が、何気なく口にする不用意な言葉が、子どものことで苦しんでいる保護者の方をさらに傷つけた、という事例はけっこうあるので。病気の説明をするときも、ただ一方的に将来は厳しいです、なんて言い方はできないし、一方で楽観的でもいけない。悩ましいのですが、子どもは成長しますよね。その子がどう成長し、変化していくのか。状況を判断しながら、相手の立場も配慮しながら、言葉かけができるように気をつけています。
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第2回につづく
▼水谷先生が立ち上げられた「NPO法人白血病研究基金を育てる会」もご紹介させてください。
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