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鬼丸昌也さんの声 第1回




まずは「伝えること」からはじまった



テラ・ルネッサンス・鬼丸昌也さん



世界を変えるためには、まず「伝えること」と各地で講演活動を続ける鬼丸昌也さん。現在の活動をはじめるきっかけや、ご自身が代表を務める「テラ・ルネッサンス」の活動内容にについて伺いました。3回シリーズの第1回です。



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福岡県出身の5人兄妹の長男です。一番下の妹とは15歳年が離れています。実家は決して裕福な家庭ではありませんでした。大学に進学するため「新聞奨学生」として新聞配達をしました。新聞を毎日400件配っていました。大学生活の後半は、カラオケ屋で住み込みのアルバイト。早朝から深夜まで働いていましたね。

……唐突に身の上話を聞いていただき、失礼しました。「テラ・ルネッサンス」の理事をしている鬼丸と申します。「テラ・ルネッサンス」とは、地球の再生・復興という意味。主に、世界各地の紛争にまつわる課題に対する取り組みを行っています。


活動のきっかけは2001年2月、大学4年のときにカンボジアを訪れたことです。地雷原が多く残る地域に行き、その場の音にショックを受けました。というより、音がなかったんです。楽しそうに遊ぶ子どもたち、食事を囲む家族、愛を語り合う恋人たち……そんな人々の声や生活のすべての「音」が地雷原には、ない。聞こえるのは、地雷を除去するディマイナーと呼ばれる人々の緊迫した息づかいや、地雷探知機の「ピー!」という甲高い警報音。地雷の悲惨さ、除去の困難さを目の当たりにしました。

そこから、自分にできることを考えました。……けれど、技術もお金もない。かの国の言葉も話せない。目の前にある課題に、できないことばかりが並ぶことにショックを受けました。

それでも「何かできることはないか?」という問いを自分に投げかけつづけ、「伝えること」に行きついたんです。地雷被害の現実を、日本の人たちに伝える。それは日本語でもできます。専門家ではないけれど、自分の言葉でありのままにわかりやすく伝えることで、寄付を集めることができる。自分にもできることはある! と思いつき、行動にうつしました。

カンボジアから帰国して翌月には講演活動をスタートさせ、年に90回の講演をしていました。お客さんが2人しかいない、なんていうこともありましたが、でもつづけることを大事にして、地雷の現実を伝えました。……これが、「テラ・ルネッサンス」の活動のはじまりです。

活動をはじめて21年。のべ21万人の方に、僕の話を聞いていただきました。現在では92名の職員とともに働く、年間予算・約3億円の団体に成長しました。


主な活動は、冒頭に述べたような地雷や不発弾が多く残る地への支援。カンボジアやラオスには、多くの地雷や不発弾が残っています。不発弾といってもさまざまな種類があり、クラスター爆弾と呼ばれる200ほどの小さな鉄の塊が時速100キロで飛び散るというものも。ラオスに至っては、ベトナム戦争時にこの爆弾を搭載した米軍機が沖縄から出発したことは、ご存知でしょうか? ……まだまだ現実にある地雷。我々はこういった危険のある場所で生活をしなくていいように貧しさから抜け出すお手伝いをしています。職業訓練や農業支援のサポートですね。

また、アフリカのウガンダ・コンゴ・ブルンジでは、子ども兵だった人たちへの支援を。紛争で傷ついた女性に教育を受けてもらい、自分の力でお金を稼げるようなスモールビジネスを提案しています。

日本でも活動していますよ。東日本大震災をきっかけに、岩手県・大槌町に暮らす高齢の女性たちに地元に伝わる「大槌刺し子」を作ってもらい、商品として販売。のべ180名の作り手さんたちに5000万円の売上金をお支払いすることができました。


これらの活動に共通しているのは「対象者の自立をうながすこと」。たとえ我々の支援がなくなっても、自分たちで暮らしていけるしくみをつくる。この考えを大切にしています。


現地への直接支援、ということで、ウクライナ難民の方々への支援も行っています。次の機会に、ウクライナの現状をお話できればと思います。



難民や避難民への支援物資の調達・配送をおこなう(ウクライナ)




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第二回につづく



▼鬼丸さんが活動をしている「テラ・ルネッサンス」もご紹介させてください。



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