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髙橋誠さんの声





教師として、防災士として、子どもたちの未来を守る



防災士・髙橋 誠さん



福島県相馬市で長年教師を務めてきた髙橋誠さん。現在は、防災士としてあらゆる場所で備える大切さを語っています。震災のあの日のことをふりかえり、子どもたちに寄り添い続ける誠先生のお話をうかがいました。



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誠先生の2011年


わたしは長く小学校の教員をしていまして、生徒たちや友人たちには「まこじい」なんて呼ばれています。校長職も長かったからかな……まいっちゃうよね、まったく。

2011年当時は、「相馬海浜自然の家」という自然体験ができる環境教育施設を任されていました。3月11日は、地域の老人クラブの方々が来ていて、お昼を食べてみなさんを送り届けたあとに地震が起きたのでセーフでした。いまでも、地震が起きたのが3月12日じゃなくてよかったと思うことがあります。12日には、宮城県から小学生を受け入れて泊まりで学習をする予定でしたから。


「相馬海浜自然の家」は、松川浦という福島県唯一の潟湖沿いに建っていました。カヌー体験をしたり、海苔の養殖をしたりと子どもたちが自然をたっぷりと体感できる場所です。

けれども、3月11日は違いました。相馬市の防災無線が、津波が来るという放送をくりかえししていて、職員全員でこのエリアの唯一の高台にある磯部小学校へ避難をしました。

到着してまもなく、激しい雷のような音がして、あたり一面が真っ暗になりました。あらゆるものをなぎ倒す津波による土煙です。土煙がおさまったと思ったら、一切合切なくなっていました。愕然としましたね。

この津波の被害を前にして思い返すのは、「相馬海浜自然の家」からクルマで逃げるときのこと。港のそばでたたずむおじいさんとおばあさんを見ました。わたしはそのまま逃げたんです。……見殺しにしてしまった、という気持ちがいまでも消えることはありません。


磯辺小学校は唯一の高台だったため、津波のあとは陸の孤島になってしまったんです。市が手配してくれたバスが学校に到着したのが3月11日の22時。あたりは暗闇でしたが、子どもたちに、そのときだけは外の景色を見せたくなかった。中では決してカーテンは開けないように、と約束してバスに乗り込んでもらいました。

わたしは数名の職員と学校に残りました。夜中の2時に市役所の職員が山道を通って、必死に買い集めた食べ物を届けてくれました。翌朝に集落ごとにふり分けて、配りました。その時口にしたおにぎりの味は、美味しいというより「生きている」という印象でしたね。

200人以上が取り残されていた集落のみなさんも、だれも文句言わなかった。みんな知っている顔だし、その大変さは自分だけじゃないってことを知っているから。

防災教育のなかで伝えているのは、「自助・公助・近所」です。地域とのつながりがいざというときに助けになるんです。




磯辺小学校に立つ慰霊の像。12名の児童が亡くなった



あの日のトラウマ


残された命を精一杯に生きないと、と思っています。そこから防災教育に取り組んでいます。防災士として、福島県の小中学校に多角的な避難訓練の提案から実践までをしています。

けれど、防災士としての面目丸つぶれ……ともいえる事件が起こってしまいました。2022年3月16日。相馬市に起こった震度6強の地震です。

実はこの日の前日に引っ越しをしたばかりで、家の中にはたくさんのダンボールが置かれている状態でした。わたしは観賞用の熱帯魚の水槽を掃除していたんですね。たかが30センチの水槽です。それが大きな揺れとともに、バタンと倒れたんです。そのとき、一気に2011年の自然の家でのことがフラッシュバックしてしまった。120センチの水槽がすーっと動いてバッシャーン! と倒れたこととイメージが合わさってしまい、パニックになりました。他にするべきことがあるのに、こぼれた水に執着してしまって、冷静ではいられなかった。いやあ、ほんとうに面目ない……。


地震はできれば経験したくなかった。けれども、経験したからこそわかることがある。決して無駄にしてはいけないと思っています。

防災士として、子どもたちに伝えているのは「今を夢中で生きなさい」。一生懸命でなくていい。「夢中になれること」を意識して生活してほしいと願っています。




防災士として、未来の子どもたちへ


小中学校で実施している防災訓練は、形式的なものは一切していません。生活のなかのそれぞれの時間・タイミングで、地震が起こったら? ということを想定して、避難をします。

たとえば、登校中、授業中、下校中。避難ルートも複数用意します。どこかが通れなくなっているということもシュミレーションします。

実際に、「下校中に地震が起こったら」という訓練をした小学5年生の女の子は、2キロある避難ルート走って逃げました。その子の感想は「本当の時には、ランドセルも手提げもすべて捨てて逃げます」ですって。そういう意識をもつことが大切なんです。

よく言われる「津波てんでんこ」、津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守れという意味です。わたしはそのあとに、どこで落ち合うかも家族と話し合って決めておくこと、と言っています。


災害は、目の前にすぐ起こることじゃないからこそ想像がしにくい。けれど、「想定外のことが起きることを想定しておくこと」の必要さを身を持って体験したわたしからすると、まずはすこしでも意識をすることから、はじめてみてほしいです。

未来の子どもたちのために、まこじいからのお願いです。







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