top of page
検索

石田慶子さんの声 第3回

更新日:2023年12月26日




何が誰を救うのか想定できない「偶然性の支援」



まほうのだがしや チロル堂・石田慶子さん



「いまもずっと実験中です」と笑うのは「まほうのだがしや チロル堂」の石井慶子さん。トライ&エラーをくり返しながら、子どもたちの居場所づくりをしている石井さんに、地域でコミュニティをつくる必要性について聞きました。最終回です。



―――


どんなことが誰を救うのかは想定できない


第1回にお話した、福祉支援から地域に事業を展開していったこと。カーネーションズの方から、リクエストをもらいましたので、もうすこし掘り下げてみたいと思います。


福祉支援とは、「お腹がすいている」とか「貧困」といった課題を解決することが必要で、そこに福祉制度があります。

じゃあ、一体「何をもって解決というのか?」。人は、困る存在であるもの。困る存在で居つづけることが、人である。そういう前提をなくして、掃除のようにきれいにしてしまうことが、果たして解決なのか……?

福祉という制度でできることには限界があることを、感じていました。

「高齢者にはこれ!」「障害者にはこれ!」と、パズルのように当てはめる課題解決型の支援をしようとすると、そこにハマらない人がかならず出てくる。逆に問題をこじらせてしまうことも。

課題解決型の支援とはまったく別軸の方法が存在しているはずだよな、と。

そこで、こう考えました。

「課題解決型の支援」に対して、「偶然性の支援」がある。


2023年9月、生駒市に「南チロル堂」という直営2号店をオープンしました。そこで、駄菓子コーナーのお手伝いをしてくれるボランティアを募集したんです。わたしたちは、近隣のおじいちゃん、おばあちゃんが「時間があるからやるよ」なんて言って来てくれることを想像していたんですが、蓋をあけてみたらそうじゃなかった。若い人が応募してきたんです。

話を聞いていると、就労支援を受けていた女性だった。

つまり、わたしたちが「支援すべき」としていた人たちが、お手伝いをしたいと自ら連絡をしてやってきてくれた。

ここで、ハッとしたんです。支援されることが必ずしも救いになるわけじゃないと。どんな人も役に立ちたい、役割と果たしたいんですよね。

どんなことが誰を救うのかなんて、想定できない。想定したら、相手は逃げてしまう。救いを想定しない必要性がある。それが「偶然性の支援」です。誰が誰に癒やされるか、わからない。可能性の設置です。

人は誰かに救われることで、他の誰かを救いたいと思うことができたり、誰かの力になることで逆に自分が救われることが起こったり。これが人間本来のはたらきなんだと思うんですよね。

南チロル堂でいきいきと働いている彼女たちを見て、たくさんの気づきをもらっています。




決めつけたタイトルをつけない


「偶然性の支援」を発揮できるのが、地域。さまざまな人が暮らす地域のなかにコミュニティをつくることで、さまざまな可能性を生むことができると考えています。


地域でコミュニティをつくるときに、大事にしていることがあります。


・場をひらく

・きっかけ、出会いをつくる

・多様をつくる


実際、どのコミュニティも偏っているんですよね。「高齢者の元気をつくる!」とか「障害のある人のための」からはじまって、困っている人と困っていない人すらも分けられていませんか? これじゃあ、関係性が分断されちゃいますよね。

「この人とはここまでです!」と関係にラインを引くことで、孤立していくし、困っていても声を上げられなくなる。今、とりもどすべき関係性があると思うんです。


たとえば、困っている人を集めようとしても、そこには人が集まらない。これまで何度も失敗をくり返してきてわかったことです。

課題をタイトルにもってくると、参加できる人が少なくなる。その課題感を自分ごとにしている人が少ないから。


当初考えていた「子ども食堂」もそうでした。

「困っている子どものため」をタイトルにすると、誰にもひっかからない。それを「地域の子どものため」とか「子どもなら誰でも」にした。すると、引っかかる人が圧倒的に増えたんです。

地域のおじいちゃん、おばあちゃんたちも「未来をつくる子どもたちのためにできることはあるかな?」と考えてくれる。子育て世代も、学生も。

参加するのに「自分がやりたいから」という動機が一番強いんですよね。

そうしてチロル堂は、誰でも集まれる子どもの居場所になっていきました。「多様を生む場」になりつつあります。



思い思いに過ごす子どもたち。日頃、ルールの中で生きる彼らだが、ここでは自分たちで秩序をつくる




多様のなかで生きることは、いいもわるいも知ること


いまの子どもたちを見ていて切に思うのは、立派な人や素敵な人を目指しすぎて苦しそう……ということ。TicTokの動画に登場する有名人・インフルエンサーを観て、「自分もこうならなくては!」と選択肢が狭まっていないかい? と。世の中には、立派な人や素敵な人だけでできているわけではないよ〜って。

“どうでもいい大人”にも会ってほしいから。「しょーもな!」「あの人嫌や」っていう大人の存在を知って、「こうなりたくない」という選択肢も含めて、初めて「選択」だと思うんです。

素敵だなと思っていた人にだって、ダメな面はあるわけで。いいもわるいも両方あるんですよね。

親と先生だけの話を聞いて、いい方だけを見て、それだけが世界だと思ってしまう。そうやって大人になった時、「理想の自分になれなかった」と絶望してしまう。「もうだめだ……」って。そういう子どもたちの足元がグラグラしているように見えて、こわいんです。

変なことを言う大人や、ポンコツな大人……ヘンテコ〜! って笑ってもらっていいんです。いろんな大人がいることを知って、「こうであらねばならない!」と思っている子どもたちが、楽になれるといいなと願っています。



オーナー・ダダさん主催のアトリエに所属するアーティスト・なんとあきらさんの絵画の展示も行っていた(取材時)。





―――



▼南生駒にできた2号店「まほうのだがしや 南チロル堂」のInstagram



bottom of page