「『へつた』の意味」
天畠万貴子さん
重度の障がいをもち、研究者である天畠大輔さんの母・天畠万貴子さん。突然、息子が障がいを負うことになっても、決して諦めない万貴子さんに、カーネーションズのために特別に語っていただきました。3回シリーズの第1回です。
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息子の天畠大輔は14歳のとき、医療事故によって脳が大きく損傷し、重度身体障がい者となりました。体を動かすことも、話すことも、字を書くことも、食事をうまく飲み込むこともできなくなるなどの、重複障がいを抱えています。
40歳となった天畠大輔はいま、研究者として2冊の本と9本の論文を発表しています。今回は、「ロックトイン・シンドローム」という意思表示が全くできなかったときから、大輔が言葉を取り戻したときのお話を。
当時、ドクターには「知能レベルは幼児ほどだと思ったほうがいい」と言われていましたし、看護師さんたちも大輔を植物人間として扱っていました。
わたしはそれでも、大輔は絶対にわかっていると思っていました。だって、ベッドの横で話をしたら笑うんですもの。このとき、どんな状況にあっても人間は笑うことができるのね、と心底感動したものです。
あのときの大輔は辛かったと思います。わたしが会えるのは、限られた面会時間のなか。それ以外の時間は、すごく大変だったんだろうと。布団を何枚もかけられて、暑くて苦しくて泣いていたら、看護師さんには寒いのかな?とさらに布団をかけられてしまう。コミュニケーションがとれないということは、本人が望んでいることと真逆のことを平気でされてしまうという危険があるんです。
ある日、いつものように面会に行くと、大輔がわんわん泣いていたんです。ドクターは「感情失禁というもので、泣き始めると意味もなく泣き続けるので心配ない」と言うのですが、絶対にそんなことはないとわたしは思っていました。わたしの目を見て、訴えているんです。そのとき、過去に「テレックス」という母音と子音を組み合わせて打ち込むタイプライターを使っていたことを思い出して、こう提案しました。
「大輔、頭のなかであかさたなの五十音をイメージしてくれるかな?あっ、泣き止んだね、五十音がわかるんだね。母さんが、あかさたな・はまやらわって、ゆっくり言うから。たとえば、てんばたの『て』だったら『た』行だよね。そこの『た』になったら舌を動かしてみて。つぎは、たちつての『て』で舌を動かしてね」
大輔はたっぷりの時間をかけて「あ、か、さ、た、な……」の「は」で舌をわずかに動かしました。
そして次は「は、ひ、ふ、へ、ほ……」を何度もくり返してゆっくりと伝えると「へ」のときに舌が動いたんです。そうして、大輔は一時間以上をかけて「へ・つ・た」の三文字をわたしに伝えてくれました。
でも、「へつた」?合ってるのよね?と訊くと、大輔はまた時間をかけて「イエス」って言うんです。ベッドの周りを見回してみると、経管栄養の入った点滴の袋が空っぽになっていることに気がついたんです。
「もしかして経管栄養がなくなって、おなかが空いているって意味なの?」
そう言った瞬間に、大輔の目が見開かれぶわあっと涙が溢れました。……そうだったのね。やっと分かった!
このとき、病棟の窓から強烈な西日が入ってきて視界が明るくなったのを覚えています。大輔が事故に遭って以来、初めて自分の言葉を伝えることができた瞬間でした。
わたしは号泣する大輔に言いました。
「ちょっと待って、落ち着いて!これからはどんなに時間がかかってもいいから。あなたの言いたいことを聞くから。ここまで来たら、もう大丈夫」
そこから、大輔は「あかさたな話法」というものを自分で確立して、コミュニケーションがとれるようになりました。前出しましたがこの方法を使って、書籍や論文も執筆しています。
ドクターやナース、専門家と言われる人たちから何を言われても、最後の最後まで大輔を信じることができたのは「知らないことの強さ」だと言われたことがあります。脳死判定をされた親族の人工呼吸器のスイッチを切るという選択をした医師を知っています。医療の知識があるからこその決断だったのだと思います。それを知らないわたしは、絶対に諦めなかった。大輔に対する愛だけを信じて疑わなかったんですよね。
「へつた」の次に、大輔が言ったのは「ありかとう、はは(ありがとう、母)」でした。今までわたしがやっていることを全部見てくれて知っていたんだと、今度はわたしが泣く番でした。
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第2回につづく
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